研究者インタビュー
ヒト血漿を対象とした定量メタボロミクスの実現に資する合成生物学的アプローチ
2023年度 化血研若手研究奨励助成
研究内容について教えてください
一般的な血液検査では、血液細胞、酵素、糖、脂質、電解質などを中心とした20~30成分を計測することで、様々な病気の早期発見や、病気の進行度を評価しています。一方で、血液中にはその他にも数百種以上の「代謝物 (Metabolite)」が含まれており、これらを検査することでより精度の高い診断や病気の早期発見につながると期待されています。これまでにヒトでは約3000種類の代謝物が発見されており、それら全てを総称して「メタボローム (Metabolome)」と呼び、それらを一度に網羅的に検出するための分析手法を「メタボロミクス (Metabolomics) 」と呼びます。既に、血液中のメタボロームの統計解析によって健常者と各種ガン患者を見分けたという研究報告があります。
ただし、各代謝物の「血中濃度」を正確に定量するためには、分析時に13C炭素などの「安定同位体」で標識された各代謝物を内部標準物質としてサンプルに添加する必要があります。安定同位体標品は非常に高価 (例:13C5-Glutamine,約300 万円/g) であり、数百、数千成分を対象とした定量分析には非現実的なコストを要します。ヒトの定量メタボローム解析を実用化するためには、ヒト血中代謝物群に対応する安定同位体標品群を安価に製造する必要があります。
そこで本研究では、比較的安価な13C6-Glucose (約2万円/g) だけを炭素源として増殖する大腸菌に、ヒト血漿由来代謝物を合成させる「人工的な代謝経路」を導入することで、安価な原料から13C標識されたヒト血漿代謝物を一斉合成させる「バイオプロダクション法」を開発しています。私はこれまで、大腸菌をモデル宿主としてバイオ燃料や医薬品原料などの様々な有用化合物の生産経路を開発してきました。このような微生物の人為的改変は、「合成生物学」における主要な研究対象の1つです。本研究では大腸菌が本来は合成することのできないヒト血漿由来の代謝物群をターゲットとして、大腸菌の代謝改変に取り組んでいます。
研究者を目指すきっかけ、現在の分野へ進むこととなった経緯を教えてください
真剣に打ち込めて長続きしたのが研究だったとうだけで、大それた契機があったわけではありません。ただし、「好きなこと」を「職業」にしてしまうと、その内に好きだったことまで嫌いになってしまうのではないかという漠然とした不安はありました。そんな中、大学時代の恩師である九州大学 岡本正宏 教授の教えに、“研究とは現在の「未常識」をその後の「常識」に変えていく仕事、そのためには、時に一見すると「非常識」に思えることに正面から対峙しなければならない。そこに魅力と困難の両面がある。”という言葉を受けました。自分自身、どんな小さな実験結果でも、それが世界中、歴史上で自分しか知らいない新たな発見だと実感すると、苦労に勝る高揚があるという事を実感していた時期だったので、研究者を職業にしようと思うようになりました。そういった意味ではやりたい事をやり続けるために今の分野に進んだと言えると思います。
これまでのキャリアで印象に残っている経験を教えてください
研究室や研究分野を変える毎に様々な文化や考え方に触れることになるので、それが一番の自身の成長につながっていると思います。博士号を取得した直後に分野を変えてメタボロミクスを専門とする九州大学の馬場健史 教授の研究室に採用して頂き、自身の専門である微生物代謝工学をメタボロミクス分野に応用する本採択課題が生まれました。異分野に飛び込むことで大きく研究の枠や自分自身の能力を広げるチャンスがあるのではないかと思います。門外漢に先端技術をご教授頂いた馬場研の先生方には心から感謝しています。
博士課程の最終年にJSPS特別研究員として米国UC Davisに留学しました。当時もひどい円安だったため、JSPSの給与額では生活困窮者予備軍扱いで、UCから留学許可が出ず、預金残高証明書を提出しなければ留学させてもらえませんでした。UC Davisはキャンパス周辺の住宅不足が深刻で、2~3ヵ月のサブリースを繋いで1年間過ごしました。途中で1か月半ホームレスとなり、研究室で寝泊まりしていたので、予備軍を超えて本当の生活困窮者になってしまいました。留学先や国際学会で会う著名な研究者達に「お前の論文知っているぞ」と言われたときはとても嬉しかったのを覚えています。総じて自身の成長につながる貴重な体験だったと思います。
今後の応募者へのアドバイス、若手研究者へのエールをお願いします
私自身が未熟者ですのでアドバイスやエールと言うのは大変僭越ですが、私なりの考えとしては、実験や論文執筆だけでなく、テーマ立案、予算や人材の確保、研究環境の整備、成果発表や社会実装などの循環が一体となって「研究」という仕事だと思います。私自身、実験や議論・論文執筆が楽しい訳ですが、それを支える様々な仕事を一人前に自分でこなせるようになることを目標に奮闘しています。特に、論文執筆と同じくらい、予算申請書の執筆やプレゼンは、自分の研究内容を客観視して強みや弱みを再認識するとともに、他社から批評してもらえる貴重な機会です。何事もバランスが大事ですが、私の場合は奥手にならず、立てる打席には全て立つくらいの意気込みで臨んでいます。
将来の夢や、研究を発展させるビジョンについて教えてください
メタボロミクスに使用されるクロマトグラフィー質量分析は、非常に熟練した技術や経験を要する装置です。その理由として、日々その装置感度が変動することや、各装置メーカーによっても得られるデータに違いが出ることが知られています。そのため、そもそも定量値 (単位のついた濃度値) が得られていない現状では、異なる装置や異なる施設、異なる時期に取得したデータを比較したり、統合的に解析したりすることができません。つまり、コフォート研究における長期データ蓄積や、施設間でデータ比較を必要とする国際協力研究などにおいては、メタボロームデータを満足に活用できていないのが現状です。本研究では定量ヒト血漿メタボロミクスを実現することで、高付加価値なメタボロームビッグデータを全世界の研究者が活用できる世界を目指しています。また、将来的には血漿に限らず、ヒトやそれ以外の様々なサンプルにも定量メタボロミクスが展開できるように技術開発を進めていきたいと思います。
Profile
2023年度 化血研若手研究奨励助成
相馬 悠希
産総研 合成生物工学研究グループ
主任研究員