研究者インタビュー
腸内細菌叢を基軸とした難治性腸管感染症の病態解明と新規治療法の確立
2023年度 化血研若手研究奨励助成
研究内容について教えてください
我々の身体を構成している細胞は約60兆個と言われていますが、体内に生息する微生物(主に細菌)の数 は100兆個(細胞数の数十倍)を超えることが分かっています。腸管の中に棲む細菌を「腸内細菌」といい、ヒトに定着している細菌の90%を占めています。腸内細菌は「忘れ去られた臓器」と例えられる程、多岐の機能を有しており、腸内細菌と宿主が複雑かつ緻密なネットワークを構築することで腸内エコシステムひいては我々の健全な身体を築いていることが知られています。一方で、炎症性腸疾患などの消化器疾患(Inflammatory bowel disease: IBD)患者では、dysbiosisと呼ばれる腸内細菌叢の構成異常が認められており、細菌種の数の減少や、有益細菌の減少、潜在性病原性細菌の増加が報告されています。中でも、致死性の腸管感染症を引き起こすClostridioides difficile (C. difficile)はIBD患者の腸管内で異常増殖し、C. difficileに罹患したIBD患者の予後は極めて悪くなると報告されています。しかしながら、C. difficileがIBDの腸管内で異常増殖する機序の詳細は未だ不明で、有効で安全な治療法を開発する上で解決すべき重要な課題となっています。よって本研究では、腸内細菌叢に着目したIBDにおけるC. difficile感染機序の解明ひいては当該疾患の新規治療法の確立を目指しています。
研究者を目指すきっかけ、現在の分野へ進むこととなった経緯を教えてください
このインタビューを機に私が研究者となった経緯を改めて考えてみたのですが、良くも悪くもあまり深く考えずに直感のままこの道に行き着いた気がします。私は学生時代、数学が好きで英語が大の苦手だったので、高校では何の躊躇もなく理系クラスを選択しました。そして、大学受験となり将来の進路を決める段階になるのですが、その時も生命に関することを学びたいと思い生体工学分野を選択しました。私がこのようにヒトの生に興味をもつようになったのは、家庭環境が大きく影響していると考えています。私の父は僧侶で、家は寺院を営んでいます。ですので、小さな頃から死生観を割と考える環境の中にいたと思います。幼い頃の私は、「人は死んだらどうなるの?」とよく両親に質問していたそうです。そうして、理科や生物の授業で人体のしくみについて習っていくうちに、もっと深く生命の成り立ちや病態形成についてもっと深く理解したいと思うようになりました。結局、今もその興味を解き明かしている最中で、気づくと研究者という職業に就いていました。
現在、私は「腸内細菌叢を基軸とした消化器疾患病態形成機序の解明」という研究テーマに取り組んでいます。本研究はその一環で、1) 病原性細菌C. difficileが炎症性腸疾患(IBD)患者の腸管内で異常増殖する機序の解明と、2) IBD患者特有の乱れた腸内細菌叢(dysbiosis)を是正しC. difficile感染症を減弱する有益腸内細菌の特定、に取り組んでいます。私が腸内細菌に着目して病態を捉えるようになったきっかけは海外留学でした。私は大学院とポスドク時代にがん研究に取り組んでいたのですが、同じく研究者である夫の海外留学を機に研究分野を一転し腸内細菌研究の世界に飛び込みました。ちょうどその当時は、腸内細菌と様々な疾患との相関が立て続けに報告され、腸内細菌研究はホットな研究領域として認識されていました。そこで、夫が腸内細菌の研究をするにあたり、ミシガン大学消化器内科・鎌田信彦先生の研究室に留学することとなり、私も同研究室でポスドクとして研究させていただくことになりました。正直なところ、初の海外生活・研究に自信の無かった私は、鎌田先生に夫と共に私も受け入れて頂けないかとお願いしたのです。幸い、夫婦揃って留学費用のグラントを獲得することができたので、2014年から鎌田研究室にお世話になり腸内細菌研究のご指導を頂きました。それから今日に至るまで、様々な機能を有し多臓器疾患にも寄与している腸内細菌の研究にどっぷりと浸かっています。
これまでのキャリアで印象に残っている経験を教えてください
私は海外留学時に、人生のターニングポイントのひとつとして挙げられる出産を経験しました。渡米を機に腸内細菌研究に取り組み、研究開始当初はPIの鎌田先生や共同研究者、スタッフの方々に色々とサポートを受けながら、慣れない実験をこなしていく日々でした。周囲のサポートのおかげで研究自体は比較的スムーズに進みましたが、研究後半に差し掛かった論文の初回投稿のタイミングと予定よりだいぶ早まった出産のタイミングが重なってしまったのが大変でした。新生児を抱きながら、論文の肝となる最後のデータを纏めたことは、今となっては良い思い出です。またその時期、同僚であった夫も論文投稿を控えており、私も彼の大きな実験を手伝う予定でいましたが、その計画も突然変更を余儀なくされました。その時、朝の4時から研究室に駆けつけて、私の分まで夫をサポートしてくれた同僚には今でも感謝してもしきれません。産後3ヶ月で研究室に復帰し、育児と研究の両立生活が始まりましたが、勿論、出産前に比べると研究に費やす時間の比重が減り、研究スタイルも一変しました。しかし、鎌田先生、夫を含め様々な方々の協力をいただくことで、論文投稿や新規研究プロジェクトの立ち上げに取り組むことが出来ました。女性研究者には、ライフイベントに伴うキャリアの不安も出てきますが、周囲の方との人間関係を築きあげていきながら研究地盤を固めていくことが、ライフイベントに沿った研究生活を続けて行く上で重要なことだと感じました。
今後の応募者へのアドバイス、若手研究者へのエールをお願いします
私もまだまだ研究者としては未熟者ですので、他の研究者の方にエールを送る立場にはありませんが、私のこれまでの経験や日頃から心に留めていることを共有させて頂ければと思います。
若手研究者のフェーズ段階では、良いメンターの先生に指導を仰ぐことが重要だと思います。私自身、学生・ポスドク中は実験量をこなし、がむしゃらに研究に没頭していました。それはそれで、色々な実験主義を習得し生産性も上がったので決して悪いことではなかったと思っています。しかし、個人の考えや行動ではどうしても限界があります。研究経験が豊富なメンターの先生(瀬戸口啓夫先生(当時: 鹿児島大学整形外科学)、樋田京子先生(当時: 北海道大学歯学研究科))とディスカッションをすると、実験の組立てやデータ解釈において、私が見当も付かなかった角度からご意見をいただくことが多々あり、その都度プロジェクトの軌道修正だけでなく私の中に新しいシグナルがインプットされることとなり研究領域の視野が広がりました。
また、研究を発展・継続していく上で、グラント獲得能力は研究者にとって必要不可欠で重要な資質となります。幸運にも私は、ポスドク留学時に鎌田信彦先生からGrant writingのノウハウを学ばせて頂き、今日に至るまで継続してグラントを獲得することが出来ています。グラントの獲得=研究資金獲得が全てではありません。グラント作成工程は、自分の研究内容を俯瞰的に捉え、方向性を見つめ直す良い機会となりますし、研究課題を組立てていく中で新たな発想が生まれることもあります。実際、私の申請書を他のラボの先生に見てもらいながら意見交換を行なっている流れで、新たな共同研究が生まれたケースがあり、グラント申請を通して研究ネットワーク形成を確立する機会にも恵まれました。こうした一連のトレーニングは、後のキャリアパス構築の際にも必ず生きてきます。
研究者と言うと、世間的には華やかな職業と認識されがちですが、泥臭い実験の繰り返しです。研究をしている中で心躍る瞬間はほんの一握りで、大抵は紆余曲折の連続で日々アレコレと試行錯誤の中にいます。グラントも思う様にとれない時もあります。それでも私は、立ち止まらずに挑戦し続ける研究者、でありたいと思っています(自分に言い聞かせています)。一生涯挑戦することを許されていることは研究者の特権なのかもしれません。
将来の夢や、研究を発展させるビジョンについて教えてください
腸内細菌はヒトの病態生理において無視することができない要素のひとつとして認識されています。しかしながら、従来の腸内細菌研究においては、腸内細菌と病態の相関関係を明らかにし、病態の責任細菌の同定とその細菌に着目した病態形成機序を解明する研究が主要であるように思います。そこで私は、腸管感染症の病態に寄与する腸内細菌研究と並行して、病態を改善し得る有益細菌の単離にも取り組み、ヒトの健康に繋がる研究を発展させていきたいと考えています。また、感染症は全ライフステージにおいて発症する病気ですので、今後は小児感染症の研究にも挑戦していきたいと思っています。
Profile
2023年度 化血研若手研究奨励助成
北本 宗子
大阪大学 免疫学フロンティア研究センター
特任准教授