研究者インタビュー

化血研が助成させていただいた研究者の方々の研究内容、これまでの経験やエピソード、将来の夢などをご紹介します。

多発性骨髄腫に対する新規CAR-TおよびCAR-NK細胞療法の開発

2020年度 化血研研究助成

研究内容について教えてください

 多発性骨髄腫は主要な血液がんの一つであります。近年の治療薬の進歩は著しいのですが、未だに治癒はほぼ不可能です。私は、2007年に帰国してから長らく多発性骨髄腫の研究に取り組んできました。膨大な数の抗体を作製し、その中から骨髄腫にだけ特異的に結合する抗体を単離することで、抗体治療に応用できないかと考えていました。大変な期間を費やしましたが、1万個の抗体の中からインテグリンβ7というタンパク質を標的とする抗体を発見しました。驚いたことに、インテグリンβ7は正常な細胞にも存在しているにもかかわらず、得られた抗体は骨髄腫細胞のインテグリンβ7にしか結合しません。それは、インテグリンβ7は正常な細胞においては折りたたまれた構造を取っているのに対し、腫瘍細胞においては折りたたみが解けて伸長した状態になっており、それにより抗体の結合部位が露出するためであるということを見出しました。

 抗体発見当時、キメラ抗原受容体(CAR)-T細胞が多発性骨髄腫の有望な治療法になると言われはじめていた時期であったことから、私達はインテグリンβ7 を特異的に認識するCAR-T細胞の開発に着手し、それに成功しました(Hosen N et al. Nature Medicine, 2017)。

 そこで、化血研の研究助成においては①多発性骨髄腫だけでなく他の血液がん、固形ガンに対して標的となりうるがん特異的抗原を同定することにより新規CAR-T細胞の開発を行います。さらに、②ゲノム編集により疲弊しにくいCAR-T 細胞の開発を目指します。

 CAR-T 細胞療法は、患者毎に自己のT 細胞からCAR-T 細胞を作る必要があり、製造コストが莫大であることが問題です。それを解決する一つの方法として、同種ドナーの臍帯血由来のNK 細胞を使用することで、多くの人に投与することができ製造コストが削減できると考えられます。そこで、③我々が既に開発した活性型インテグリンβ7 を標的とするCARを用いてCAR-NK 細胞の作製を試み、さらにその改良を目指します。

研究者を目指すきっかけ、血液分野へ進むこととなった経緯は何ですか?

 私は1994年に大阪大学を卒業し、岸本忠三先生が主宰しておられた第三内科に入局いたしました。そこでは、血液内科だけでなくあらゆる内科分野の研修を行ったのですが、その中でも、白血病やリンパ腫の患者さんの加療というのは、内科的治療で患者を治すことができるというやりがいがあると感じ、杉山治夫先生が率いておられた血液内科グループに入れていただきました。当初は臨床医としてやっていくつもりで、大学院には見聞を広めるという程度の気持ちで入りました。大学院時代も、臨床をやりながら片手間の研究でしたが、卒業後、せっかく学位もとったのだから留学してみたいという気持ちがあり、色んな研究室にメールを送り、その中からStanfordのIrving Weissman研究室にポスドクとして採用してもらいました。

 留学先では生物学系の研究者が世界各地から多く集まっており、私も彼らと共に朝から晩まで実験を行っていました。最初は会話を聞き取ることにも苦労していたのですが、やがて徐々にラボにもなじんでいき、彼らと生物が持っている様々な機構が、いかに素晴らしいかということを話しながら楽しく研究を行えるようになりました。当初は人生経験として海外で家族と共に生活してみたいという程度の気軽な気持ちでした。しかし、3年半の留学生活はそれまでの医師としての生活とは、全く異なる有意義なもので、特にサイエンスの面白さを初めて感じ、夢中になって研究を行っておりました。その後は、今に至るまで、延々と好きな研究を続けております。

これまでのキャリアで印象に残っている経験はありますか?

 留学先のStanford大学はアメリカの西海岸に位置することもあり、Weissman博士の研究室はアジア系の研究者も多く、ほぼすべての大陸からの研究者が在籍しておりました。アメリカでは研究者はサイエンスを楽しむことを普段から考えており、人と違った面白いことを言う人がとても尊敬されます。Weissman博士はアイデアも豊富で視野も広く、サイエンスを一緒に楽しむことを教えられました。また、仕事一筋ではなく、まず自分の生活や家族との時間を大切にすることを第一としています。そのような考えを取り入れることで、研究者としても一人の人間としても成長できたと思います。

 自分のやりたい研究を行うには欲しいものを持っている人と仲良くしないといけませんし、また、求めるだけでなく自分も何かを差し出さないといけません。出身国が違うと文化や価値観も違います。しかし、みんなと友達になるには上手くコミュニケーションを取らないといけません。そのような能力を3年半で培ったように思います。

 一方で、研究を楽しんでいるだけではいけません。研究費を獲得するためには成果が必要ですが、帰国後の研究は行き詰まり感がありました。腫瘍細胞表面の標的に結合する新規の抗体は、通り一遍のことでは見つからず焦っていました。2012年頃には完全に行き詰ってしまい、半ばうつ状態で考えに考えた結果、研究を諦めて臨床医に戻ろうと、杉山先生に電話をしました。その日の内に杉山先生に食事に連れていかれ、「思いとどまった方がええんと違うか?」と励まされ、その日の内に思い直し、もう一度頑張ろうと思いました。その日が私の研究者人生の分かれ目となりました。杉山先生が引き留めてくれなかったら辞めていたでしょう。とても感謝しています。2016年頃には根を詰めてやり過ぎて突発性難聴になりましたが、体が音を上げるまでやれば成功するのだと思いました。今思い返すと、サイエンスを楽しむことも大事なのですが、苦難を乗り越える経験も大事だと思います。しかし、自分ひとりでは絶対に乗り越えられませんから、応援してくれる人がいることが分かれ目だと思います。

血液分野に挑む若手研究者へのエールをいただけますか?

 できるだけ良い指導者に師事することが大事だと思います。若いときはどんな場所でも与えられたことを一生懸命やらないといけませんが、良い指導者の下では自然と一生懸命にできるようになります。また、その先生が常に自分のことを応援してくれます。

 また、海外留学は絶対に行った方がいいです。日本での仕事を放っておいて外国に行き、数年間お金をもらいながら研究できる経験は若い時にしかできません。医学部の人は優秀な人が多く、医学の道に来たということは知的好奇心が強いはずなのですが、それを損なわずにいてほしいと思います。それはMDを育成する立場である我々の責任もあるのですが、まずは自分が実践することで、人生が楽しくなるということを学生に証明してみせようと思っています。

将来の夢について教えてください

 「なぜかと考える内科学」というのは、岸本忠三先生が良くおっしゃっていた言葉で、今ではこの言葉が、CAR-T細胞を臨床研究と基礎研究の両側から推進させる原動力となっています。昔、私が研修医の頃に、岸本先生が回診をしておられた時、良く“どうして治らへんのや”、と話されたことを覚えています。「なんで」と考えないことにはいつまでも治らない病気は治るようにならないのです。学生にもよく言うのですが、小さい子のように強い好奇心を失わないことが大事です。そしてそれを解明するために実験することが医学研究であり、それほどやりがいのあることはないということを若い人に知ってもらいたいです。

 現在私は、教授の立場として率先して若い人を教育しておりますが、まずは自分が知的好奇心を失わずに継続して研究を行うことが大事であると思います。それが結果的に医療の発展に寄与し、国益に貢献出来たら素晴らしいことですけれども、研究者であるならば自分が大切だと思うものを追究し、後で成果を世に役立たせることを考えればいいと思います。今は役立つ研究を求めすぎではないかと思います。岸本先生もリウマチの薬につながる発見をされましたが、最初からリウマチを治すために研究していたのではありません。このようなことを若い人にも伝えて、みんなで大きなことをやっていきたいです。

Profile

2020年度 化血研研究助成
保仙 直毅

大阪大学大学院 医学系研究科
血液・腫瘍内科学 教授

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